人間発達 | |
商品 | |
貨幣・信用 | |
賃労働 | |
国家 | |
利潤 | |
世界市場 | |
所有 | |
帝国主義 | |
唯物史観 | |
弁証法 | |
思想 | |
土地・自然 | |
流通・交通 | |
生産力 | |
人口 | |
貧困 | |
近代経済学 |
オイルショック 石油危機。第1次オイルショックは、1960年におけるOPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries、石油輸出国機構)の設立と、それに伴う石油生産諸国の結束を土台とし、直接には1973年のイスラエルとアラブ諸国との間での第4次中東戦争をきっかけに生じた。原油価格は1バレル(159リットル)3ドルから一挙に4倍、11ドルから13ドルに引き上げられ、日本経済は原油コストの上昇と購買力の削減により、不況局面に入っていく。 第2次オイルショックは、1978年のイラン革命をきっかけとして生じ、原油価格は13ドルから32ドルに騰貴した。2つのオイルショックにより、3ドルから32ドルに10倍以上値上がりした。日本は、それを契機に、スタグフレーション(Stagflation = Stagnation + Inflation ―不況+インフレ)、産業構造の石油多消費型重化学工業から、機械、情報部門へ重点移動を図っていく。 オイルショックは当時、サウジアラビア、イランなど大油田地帯をわずかな金で確保していたメジャー(当時、アメリカを中心に、オランダ、イギリスのエキソン、モービル・オイル、テキサコ、スタンダードオイルオブカリフォルニア、ガルフ、ブリティッシュペトロリアム、ロイヤルダッチシェルからなる7社が中心でセブン・シスターズと呼ばれた)に対する産油国の値上げ要求であった。1971年のニクソンショックによる、ドルの減価、したがって石油代金の実質的な減価、アラブとイスラエルの対立におけるアラブの攻勢という側面もあった。しかし、その後、北海などの新油田の開発、省エネ技術による産業構造と消費構造の変化により、石油価格は下落し逆オイルショックの時代を迎える。 (1)梅垣邦胤「日本経済と資源・エネルギー問題」柿本国弘他編『現代日本経済論』青木書店、1988年、第4章。 (梅垣邦胤) |